「不寛容」という鬼と闘う

例えばトイレに行きたくて切羽詰まっている時、隣の人にやさしい言葉をかけられる人は少ない。給料日前にちょっと苦しい時、積極的に多額の募金をしようとする人はあまりいない。

みんな、余裕がないからだ。

その余裕のなさは、「抑圧」や「監視」という言葉で言い換えることができる。

特に今は学校という場では、

「やばくない?」「痛いんだけどw」「別にどうでもいいし」

などといった言葉に代表されるような、「空気の読みあい」、「無関心」、「ヒエラルキー構造」という過酷な環境に、子どもたちが置かれているのは社会の危機だ、と多くの大人が指摘している。子どもが希望を持てない社会に、未来はない。

大人の場合、最近よく聞くもので「マウンティング」という言葉がある。数年前の自分の経験談で恐縮だが、とある友人(だと思っていた人)に、結婚直後、久々に電話をもらった。てっきり祝福の電話かと思い、喜んで電話に出たら、

「相手の方の職業は? 年収は?」
「家は賃貸なの? へぇー……」
「え、相手も障害者なの? 大変だね!」

一方的にそう言われ、ガチャ切りされた。何かの事故にでも遭った気分だった。電話をくれた彼女は、「障害者と結婚した、家も賃貸でそのうえ、相手の職業も聞きなれない可哀想な笹塚」像を作ることで、彼女自身の優越感を満たそうとしたのだろう。怒りよりも、虚しさが先行した。こんな手段でしか、あの子は自分を満たせないのか、と。怒る気になれなかったのは、その勝手に作られた「笹塚像」が事実とは違うということを、幸いなことに私が自覚していたからだ。

さて、既述した「抑圧」「監視」社会は、あらゆる場面で蔓延している。スマホは魔法の箱のように人間の表現手段を広げたが、同時に「気にくわない奴をカメラで盗撮してネットに上げる」とか「イラついたことをツイッターでぶちまける」ことも容易になってしまった。

「監視」は余裕を奪う。余裕がないと、当然、人は不寛容になる。

職業柄、バスや電車の運転手さんに講演をする機会が多い。そこで知ったのは、多くの乗客たちの、恐ろしいまでの不寛容さだ。30秒でもバスが遅れたら、腕時計を指さして怒鳴る人。2分でも電車が遅れたら遅延のお詫びのアナウンス(これは言う側にも違和感があるとのこと)。万が一運転見合わせになどなろうものなら、ツイッターなどのSNS上に溢れる、罵詈雑言の数々。

しかし、交通事業者の多くは、定時運行はもとより、安全運行に万全を期すために様々な努力をしていることを、多くの乗客は知らない。定時に・安全に運行されて「当然」だと思っている。

場面を変えてみると、コンビニエンスストアで支払いを紙幣や小銭を投げ捨てるようにして済ませる人、ファミレスで「ごちそうさま」と言ったら「そんな必要ある?」と嗤う人など、みんな「こちらが金を払うのだから、してもらって当然」の感覚に支配されている。

他者に対する「感謝」が、決定的に欠けているのだ。

バスや電車が安全に運行されていること、コンビニでいつでも商品が買えること、ファミレスであたたかいご飯が食べられること。それは当たり前ではなく、「誰かの仕事」によって成り立っている。仕事とは、お金をもらうためだけではなく、その人の自尊心にもつながる重要なファクターだ。

職業に貴賎は無い。私は本当にそう思っている。だから医師(特に一部の精神科医)が偉そうにふんぞり返るのも、特定の職業が見下されるのも、同じ文脈で間違っていると私は考えている。

話がほうぼうに広がってしまったが、それは「不寛容」という名の鬼と闘う、という言葉で集約できる。学校、職場、公共交通機関、コンビニ、ファミレス……様々な場面でこの「不寛容」という鬼がのさばっている。鬼に取りつかれた(憑かれた・疲れた)人々、と言った方がいいだろうか。

余裕がないのは誰のせいだろう? 一面では為政者のせいと言っていい。あるいは一部の富裕層が富を占めているからだという視点もありうる。ここは多くの議論の余地があるだろう。

「不寛容」という鬼は、容易く人々の心に巣食う。

私を好きなだけマウンティングした件の彼女も、恐ろしい抑圧の中で生きているのだと推察する。注意したいのは、別に私がその子の幸不幸の分水嶺を決めつけたいわけではないということだ。

不寛容は、抑圧された環境が生む「監視」の中で生まれる。

怒りを抑えるのに6秒待つとよい、という言説がある。では、その6秒の間で、何かに「感謝」できはしないか。例えば、今日の朝食の目玉焼きがいつもより半熟加減が良かった。昨日よりも涼しくなって過ごしやすくて良かった。最近できたラーメン屋が結構好みだった。などなど、なんでもいい。ちょっとした良いことに「感謝」できたら、心を支配しようとする不寛容の鬼を撃退できないだろうか?

ちょっと楽観的かもしれないが、まずは小さなことから「感謝」することから、私は始めたいと思う。

ここまで読んでくださり、感謝します。

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